神社がなくなったので行ってみた【畑守稲荷神社】

街の歴史調査録

「神社がなくなっていた」

先日は路上観察仲間から、ちょっと驚きの情報を入手した。
神社仏閣は”ずっとそこにある”というイメージであったが、そんな概念が覆された出来事だ。

これはぜひ確認しなければ。
そう思い立って、朝の散歩がてら現地へ向かったのだった。

まずはGoogleストリートビューを引用し、かつての姿をご覧いただこうと思う。
こちらは静岡市駿河区池田の「畑守稲荷神社」だ。
(2026年6月現在は表示されているが、もしも画像が更新されて見られない場合はストリートビューのアーカイブ機能にて遡っていただきたい)

有度山(日本平)の丘陵地帯に位置しており、ストリートビューの画面を操作いただくと素晴らしい景色が参照できる。

付近では農地の区画整理事業を行っており、以前から工事が行われている様子が見られた。

私が最後にこちらへ訪問したのは今年の1月。
ランニングの道中に立ち寄ったのだが、あまりに気持ちの良い所なのでまた再訪したいと思っていたところだった。

ということで、現在の様子がこちら。

たしかに無くなっている

街は生き物のように少しずつ変化し続けているが、この出来事はこの地で起こった割と大きな変化ではないだろうか。

そしてそれぞれの場所には物質的なものだけでなく、そこで暮らす人々の生活の歴史や記憶といった、ナラティブなものも同時に存在している様に思う。

存在の記憶は”石碑”となってそこに残されることが多い

当たり前に存在したものが、突然無くなった時。
私たちは切なくなったり寂しくなったりと、喪失感を覚えるものだ。

137年の歴史に幕が引かれた

私には、街でそんな光景に出会った時、そこを通過したり関わってきた人たちのことをボンヤリと想像する癖がある。

かつての時代を生きていた人々と、今を生きる私の時間とがほんの一瞬だけ交差するような気がして、嬉しくなったり切なくなったりする。

(その感覚が心地よくて好きだ)

眼下には市内を一望できる素晴らしい眺望

「畑守」稲荷と呼ばれるほどだから、農業を営む地域の方にとっては大切な神社であったのだろう。

創建された明治の時代には、ここから見える市内の平野部でも、人が住むエリアは限られていた。
現在とは全く違った光景が広がっていたはずだが、参拝者はどんな景色を見て何を想っていたのだろうか。

と、かつての人々の暮らしに想いを馳せながら、奉還されたという池田の青龍山本覚寺へと向かった。

長いこと近くに住んできたが、境内に入るのはこれが2度目
由緒ある寺院だ

境内の何処かに新築の社があるはずなので、本堂から奥の方までくまなく歩いてみた。

まだ朝も早く、荘厳な空気に拍車がかかっていた

境内奥の敷地には小道が続いており、森林の中を散策している様な気分になる。

手入れの行き届いた美しい小道

いらっしゃった。

ピカピカの新築だ
弁財天も!

隣には弁財天が鎮座しており、石碑裏の記録から推察するに、どうやらかつて日本平動物園内の池のほとりに存在した様だった。

池田山栗ヶ谷とは日本平動物園のあたりを指す

web上に移築の痕跡はないかと検索してみたところ、まさに日本平動物園のHPでブログ記事を見つけることができた。

こういった地域史は記録しておかないと、時間と共にどんどん風化していってしまう。

「誰にも隠されていないが、誰の目にも留まらないもの」

石碑や看板、建物や路上。
そんな身近なところに、忘れ去れていく歴史や時間の堆積、そして地域の人々の営みを感じることができる。

それらを拾い集めながら街を歩く散歩が、私は大好きだ。

今回もそれぞれの目的地への道すがら、色々なものが目に入ってきた。

広大な農地に置かれた収穫台車。検索してみたところ、その名も「楽太郎」とのこと。

うっかり、「収穫台車」という固有名詞を初めてタイピングした。
私たちが住む世界について、一生のうちに知ることができるものなんて、至極限られたものなのだなと思う。

7人のこびとが7人じゃない

人の価値観、自分らしさというのは、「好きか嫌いか」というところに、最も色濃く表れるのではないかと思う。

そして大好きなものは、誰かに教えたり披露したくなるものだ。

その人の価値観がにじみ出したもの。
“私のにじみ出し”に触れた時、私は嬉しくなってしまう。

路上ににじみ出した、7人のこびと愛。素敵だ。

土曜日の午前、
静岡市内を一緒に歩きます。
初めましての方、
お一人での参加大歓迎です。

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